来週、息子が小学校の遠足で、日光東照宮へ行くらしいです。
家族では数年前に行ったきり。息子も当時の記憶はそこまで鮮明ではないようで、なんなら初見のテンションで、遠足の日が待ちきれない様子。
これまでの家族旅行は、遊園地とか、水族館とか、何かしら直接的なアクティビティがないと楽しんでくれなかった息子ですが、歴史を知って、学んで、興味を持って、歴史的建造物や名所など、「知ってる”アレ”が”ソコ”にある!」の感動、楽しみ方を覚えてくれたなら、もっと家族旅行にも幅ができそうですね。
さて、名所巡りの観光旅行において、現地についての予備知識があると断然楽しみが増す、というのは何も子ども達に限った話ではありません。
一度行った事のある観光地でも、新しい豆知識を知ると、また行ってみたくなりませんか?
遠足前の息子にどれだけ吸収されるかもわかりませんが。折角なので本日は、日光東照宮に関する雑学・豆知識を改めて整理してみたいと思います。「なんだ、もうそれくらい知ってるよー」という方も、是非ここで復習をして、改めて日光東照宮を楽しんで見ませんか?
予備知識があるのと無いのとでは、観光の楽しみ方が全く変わってきますよ!
日光東照宮とは
日光東照宮は、栃木県日光市にある神社です。かの有名な江戸幕府初代将軍・徳川家康公を御祭神にお祀りしており、1999年(平成11年)12月、日本で10番目の世界遺産にも登録(※)されています。
ちなみに徳川家康公を東照大権現と呼ぶ事がありますが、これは家康公の没後、日光にお祀りされる際に神格化された呼び名です。亡くなってから、神様になったということですね。
家康公が神格化されたのも、お祀りされた場所が日光であることも、家康公の遺言にその理由があります。
その遺言、ざっくりと要約すると、
- 遺体は駿河国(現:静岡県)の久能山に葬ってほしい
- 葬儀は江戸の増上寺で行い、位牌は三河国(現:愛知県)の大樹寺に納めて欲しい
- 一周忌が過ぎたら、下野国(現:栃木県)の日光山に小さなお堂を作って遺体を移し、祀って欲しい
- そうすれば私は、関八州(現:関東地方)を見守る鎮守(守護神)となろう
みたいな感じです。
この遺言に従って、徳川家第二代将軍秀忠公が、家康公のご遺体を日光へ改葬し、現在の日光東照宮の元となる社殿が完成しました。西暦1617年の事です。
但し完成当時は、かなりこぢんまりとした社殿だったようです。これを、徳川家第三代将軍家光公が、現在の日光東照宮のように、豪華に作り替えたのだと言われています。家光公による、初代将軍家康公へのリスペクトはとんでもなく、文字通り”神”として崇める姿勢の表れだったようですね。
東照大権現と南光坊天海 日光2社1寺の謎
ちなみに先ほど出てきた”東照大権現”という名前、名付けたのは家康公の宗教的顧問であった比叡山延暦寺の僧、南光坊天海だと言われています。
あれ?比叡山延暦寺の僧、ということは仏教の人……?なのに神様の名前をつけたの?神様って神道だから、なんか変じゃない?
と思われる方も居るかも知れません。
ただこれ、当時の時代背景や、日本独特の宗教観を紐解いていくと、案外おかしくないんです。
仏教と神道、どちらか一方を排斥せずに共存させてきた日本独自の文化として、「神仏習合」という考え方があります。
これ、ものすごくざっくり説明すると、
神様というのは、仏様が世を忍ぶ仮の姿。なので本来の姿は仏様なんです。
というもの。
ものすごくいい加減に思えるかも知れませんが、でもこの考え方によって神道と仏教が共存している場面、恐らく皆さんも身近で経験しているのでは?
家に神棚と仏壇の両方がある、結婚式は神式で、お葬式は仏式……なんてことは、珍しくないですよね?
日光にも、日光東照宮と二荒山神社の2社、そして日光山輪王寺の1寺が同じ敷地内に共存しています。
ここでも「神仏習合」の考え方に則り、二荒山神社に祀られている神様「大己貴命(おおなむちのみこと)」は仮の姿、真の姿は輪王寺の「千手観音(せんじゅかんのん)」なんです!といった感じ。
あとこれは息抜きの為のオマケとして見てもらえれば嬉しいのですが、とても細かいお話になるのと、解釈に諸説あるお話なので詳細は省きますが、先ほど出てきた天海さん、誤解を恐れずものすごーーーーくラフに表現すると、
神と仏、合体させたら究極の存在じゃね?
というものすごいチート思想の持ち主だったという説も。
そんな天海が名付けた東照大権現は、仮の姿とかそんなケチな話じゃなく、
神であり仏、あらゆる神仏を包含する絶対的存在!!
……まさに中二病万歳な天海(展開)です。
五重塔 現代建築に活きる制震技術
鳥居をくぐり、最初に見えてくるのは日光東照宮五重塔です。
西暦1650年に、藩主・酒井忠勝に寄贈されたものですが、元々の建物は西暦1815年の落雷により全焼してしまった為、現在の建物は、西暦1818年に再建されたものになります。
寅から始まる十二支の彫刻
この五重塔、干支十二支の彫刻が施されている事が大きな特徴。丁度建物外面をぐるっと囲むように時計回りの順番で、東西南北の四方に各三体ずつ配置されているのですが、正面から見ると、ちょっとした違和感に気づきます。正面に並んでいる干支3体が、右から寅⇒卯⇒辰になっているんです。
干支と言えば、子→丑→寅……のイメージがありますが、何故寅から?
なんとこれも、徳川歴代将軍に縁があるんです。
これも正直結構なミラクルじゃないかなー、と思っているんですが、徳川家初代将軍・家康公の干支が寅、第二代将軍・秀忠公の干支が卯、第三代将軍・家光公の干支が辰、と、偶然にも丁度「寅→卯→辰」の順番になっていたそうなんです。※ちなみに第四代将軍・家綱公は、巳年!残念ながらその次の第五代将軍・綱吉公は午年ではなく戌年でした。
これにあやかって、徳川家への経緯を表してこの順番での彫刻を施した、と言われています。
さらに。この五重塔の十二支の彫刻と、方角の関係もピッタリ合っているって話、知ってました?
方角に干支を当てはめて、真北にあたる北側中央から子、北北東の丑、東北東の寅、東の卯……と、関係性がピッタリ一致しています。
スカイツリーの制震技術は、五重塔とほぼ同じ?
地震大国日本において、高い建物を建てるというのは中々に難易度が高い問題です。なので、地震への対策は切っても切れないお話なんですね。
地震への対策として、「耐震」「免震」「制震」の3つを良く耳にします。それぞれ簡単には、以下のようなイメージですね。
耐震:地震に負けない強く頑丈な構造にする。地震に耐える!
免震:地震の揺れをなるべく建物に伝えないようにする。地震被害を免れる!
制震:地震の揺れを吸収する装置で、揺れを小さく抑える。地震を制御する!
スカイツリーには最新技術の制震構造が用いられているのですが、その名を「心柱制震」と言います。
建物内部を地面から垂直に、上部まで貫く心柱と、建物本体の構造がそれぞれ独立しており、地震の際はそれぞれがタイミングをずらして揺れることで、お互いの揺れに干渉して弱め合う、という構造になっています。(心柱は地面から少しだけ浮いた構造になっているため、独立して揺れる)
なんとここで出てくる”心柱”、名前も構造も、五重塔にあるものとほとんど一緒なんです。
その制震能力は、数々の実績によって実証済。同じ心柱制震構造を持つ奈良・法隆寺の五重塔は、世界で最も古い木造建築物の一つとして有名ですが、完成してから既に1300年以上が経過しています。つまり1000年以上も、我々には記憶に新しい、数々の大震災を経ても、そんな古い木造の建物が、一度も倒れたことがないんです。
すごいなー、日本古来の建築技術。
神厩舎 人間の一生を描く猿の彫刻
続いては神厩舎(しんきゅうしゃ)。神に仕える馬、神馬(しんめ)を繋いでおく厩(うまや)です。家康公の没後20年目にあたる、西暦1636年に建てられたと言われています。
神厩舎というとピンと来ないかもしれませんが、ここにあの有名な、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の彫刻があります。
猿の見た目と、○○しない、という意味の「~ざる」が丁度語感良く合わさって、その知名度を上げる一つの要因になったのかもしれませんね。
しかし、やたらとこの三猿だけ有名なせいか、実はこの三猿、全部で8面ある彫刻のうちの1つに過ぎない、ということはあまり知られていないようです。8面合わせると、実はこの猿、全部で16匹もいるんですよ。
そして8面それぞれが、人間の一生になぞらえた一つのストーリーになっている……そう聞くと、日光東照宮で改めて本物を見てみたくなりませんか?
8面毎それぞれに、以下のような構成になっています。
1枚目 母と子 … 2匹
母猿と小猿が1匹ずつ描かれています。
母猿は小猿を膝元に抱き寄せ、子の将来を思うように、額に手を当て遠くを見つめています。
母猿が見つめる先には琵琶の実と朱色の雲があり、子猿の未来が実り多く、彩り豊かなものであれ、との意味が込められています。
2枚目 三猿(幼少期) … 3匹
有名な三猿です。
純真な子どもの内は、とても影響を受けやすい。だから世の中の悪いことを見たり、聞いたり、言ったりせず、させずに、良いものだけを見聞きさせて素直なままに育ち、育てなさい。
という教育的意味が込められていると言われています。
3枚目 独り立ち … 1匹
親元を離れ、独り立ちしていく猿がただ一匹だけ描かれています。
独りで活きていく覚悟や決意と、親元を離れる不安や寂しさが入り交じり、少し複雑な表情をしているように見えます。
4枚目 青雲之志 … 2匹
独り立ちした猿に友ができ、2匹で遠い空を見上げます。
描かれている青い雲は「青雲之志(※)」を示しており、この彫刻は、出世を目指す高い志を表すとされています。
5枚目 挫折 … 3匹
彫刻の下を高い崖と表現し、崖下に向けて項垂れる猿と、それを慰め励ます猿、そして強い眼差しで崖の向こうを見据える猿が描かれています。
崖下に落ちかけて心折れそうになった猿の挫折と、それを励まし、立ち向かい、乗り越えていこうという姿とされています。
6枚目 恋愛 … 2匹
雄と雌の猿が、微妙な距離感で1匹ずつ描かれています。
まだどこかぎこちなくも、微笑ましい2匹のラブストーリーです。
7枚目 荒波 … 2匹
6枚目の2匹が結ばれ、2匹で協力して今後の人生(猿生?)の荒波に毅然と立ち向かう様子が描かれています。
8枚目 妊娠 … 1匹(胎児は数えず)
そして妊娠し、母が子を産みます。
そうしてストーリーは1枚目へと戻り、次の世代へと巡っていくのです。
ちなみに厩に猿の彫刻、というのは別に気まぐれではなくて、これは陰陽五行思想に則る考え方によるもの。なんでも五行では馬=火、猿=水にあたるらしく、猿(水)は馬(火)を守る、とされていたそうですよ。
想像だけで像を創造
三猿の彫刻がある神厩舎の向かいの建物、上神庫には2頭の象が描かれています。
象だと言われて見ても特に違和感なく受け入れられると思いますが、実はこの2頭の象、象を一切見たことが無い狩野探幽という江戸時代の絵師が、想像だけで下絵を描いたとされており、その名も「想像の象」と呼ばれています。
そう言われれば左側の象はなんだか毛がふさふさですし、耳もなんだか変な感じです。しかし想像だけで描いたにしては、しっかりと象ですよね。
ちなみに何故象をモチーフにしたかについては諸説あるようですが、最も有力な説としては、神庫=蔵(くら)で、蔵は”ぞう”とも読むので……というダジャレが元というもの。
想像だけで象を描けてしまう絵師は、ユーモアセンスも抜群なようですね。
眠り猫 真の強者か、平和の象徴か
家康の霊廟への玄関口、坂下門。
ここにはこれまた有名な彫刻の「眠り猫」がいます。
牡丹の花とともに、その名の通り”眠った”猫が描かれておりますが、この彫刻、実はその裏側にある雀の彫刻と一セットで見る必要があります。
裏側に描かれた雀は、花に囲まれて楽しそうに飛び回っています。本来天敵のはずの猫は、雀を襲うことはありません。
これは、争いの無い平和な世を願った家康公の思いを反映したもの、とされますが、実はこういう考え方もあるそうです。
本当の強さを得た物は、その力を奪う為では無く、守る為に使う。
猫は、家康公の霊廟を静かに守りながら、雀たちの事も、守っているのかもしれません。
ちなみに眠り猫の下をくぐり抜け、207段の石段を登った先にある奥宮は、徳川家康公の霊廟とされており、お墓である御霊塔、日光東照宮有数のパワースポットとして名高い、願いを叶えてくれる杉、その名も”叶え杉”があります。その樹齢、なんとおよそ600年程とも!
207段の石段を登るのは中々体力も必要ですが(しかもそのあと同じ段数下ることになりますし……)、折角日光東照宮に足を運んだ以上、ぜひこちらにも訪れて欲しいオススメスポットです。長い参道の途中には、徳川家康公の御遺訓が記された看板などもあるので、是非併せて探してみて下さい。
ちなみにこの奥宮では、大きな眠り猫と一緒に記念撮影ができるスポットもありますよ。
鉄灯籠 伊達政宗公の贈り物
日光東照宮には沢山の灯籠があり、その数なんと120個以上。
そのほとんどは、全国の諸大名が、将軍家への忠誠心をアピールするために奉納したものだと言われています。
灯籠、といえば普通は石灯籠を思い浮かべる方が多いかも知れませんが、日光東照宮にはなんと、鉄でできた灯籠があるんです。その名も南蛮鉄灯籠。(陽明門に上がる階段右横にあります)
この鉄灯籠、あの伊達政宗公が奉納したものだとされており、なんとわざわざポルトガルから素材の鉄を輸入して作らせたとか。海外とも繋がりがあるんだ、というアピールの狙いもあったようですね。
また、灯籠といえば他にも。
オランダの東インド会社から奉納された、八角形の回り灯籠があるのですが、この回り灯籠、上部に徳川家の家紋・葵の御紋がついているんですけども……
なんとこの御紋、逆さまになってしまっています。
この為、「逆紋の回転灯籠」なんて呼ばれています。
徳川家も、「オランダ人に悪気があったわけでは無いだろう」と、お咎め無しだったみたいですね。
国内の大名だったらどんな処罰をされていたんだろうか……
3本の逆さま柱の秘密
白塗りの姿がよく映える、陽明門には、渦巻き模様(グリ紋と呼ばれます)が施された柱が計12本あります。
ただこの柱、その内1本だけは、渦巻き模様が他と反対になってしまっています。
陽明門をくぐり終わる所の左側の柱がそれです。
ちなみにこの逆さ柱、本社の拝殿・石の間・本殿を仕切る16本の 柱の中にも2本見つかっており、合計で3本有ると言われています。
まさかの致命的ミス!?と思いきやそうではなく、これはわざと。
日光東照宮の建築当時、「建物は完成した瞬間から崩壊が始まる(満つれば欠ける)」と考えられていました。
そこで、柱の内3本をわざと逆さまにすることで、永久に未完成の状態にし、災難を避けようとした、といういわば魔除けのような意味があるのです。
ちなみにこの話、前述した五重塔にも似たような話が有るんです。
五重塔は、五層目(一番上)の屋根の裏側の構造が、四層目までとは異なった構造になっています。
五層目の屋根の裏側は、木が放射状に配置されているのに対して、四層目までは外壁に対して垂直に配置されているんですね。
これも、先ほどの柱の話と同様、あえて「未完成」の状態をつくり、災いを避けているのではと言われています。
薬師堂 穴の無い鈴は、願いをこぼしてしまわない為
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)をお祀りする、日光山輪王寺の薬師堂。
天井の「鳴龍(なきりゅう)」でも有名なスポットです。
この鳴龍、当初は狩野安信という絵師によって描かれた縦6m、横15mという巨大な龍の天井画でしたが、昭和36年の失火により建物ごと焼失。現在の鳴龍は、堅山南風という日本画家により復元されたものです。
天井画の龍の顔の真下で拍子木をたたくと、音が長く反響し、まるで龍が鳴いているように聞こえることから「鳴龍」と呼ばれていますが、この現象、設計段階からそのつもりであったのか、偶然そうなったのかは定かになっていません。明治38年、たまたまこの薬師堂の天井に棲み着いたハトを追い出そうと手をたたいた際に、偶然見つかった現象だと言われています。
焼失後に再建された現在の建物でも、この現象がそのまま再現されるよう、そっくりそのまま再現されているため、今でもこの鳴龍を体験することができています。
鳴龍の原理は、天井部分の「むくり(天井梁の中央部分を持ち上げる建築技法)」によってできた凹凸が、音の不規則な反射(フラッターエコー)を引き起こしている為。
平成3年以降、薬師堂の中で手をたたいて音を出すことは禁止されているため、現在では案内役の方が拍子木を鳴らして鳴龍を体験させてくれますが、コロコロと鈴を転がすような、とても澄んだ音がします。
残念ながら内部の写真撮影が禁止されているため画像でのご紹介はできないのですが、こちらは是非現地で直接、”耳も使って”楽しんでみてもらいたいです。
さて、そんな鳴龍の鈴のような音色、聞いた人の開運をしてくれるとされる有難い音色なのですが、この音色を携帯できる鈴のお守り、「鈴鳴龍守」が、薬師堂の中でお分かち(※)されています。
このお守りの鈴、一般的な鈴と比べて大きく異なる特徴が一つあります。
それは鈴に穴が一切あいていないこと。
このお守りに込められた願いや御利益を穴からこぼしてしまわないように、という意味が込められているそうです。
この鈴鳴龍守、通常は生まれ年の干支にちなんだ守り神、十二神将に対応する12色が一般的なのですが、今回画像で紹介している2つはそれとは異なる特別なものになります。
左側が、薬師堂でお祀りしている薬師瑠璃光如来にあやかった瑠璃色で、最近になってお分かちされ始めたまだ少し珍しいもの。右側が、世界遺産登録20周年記念の限定品として作られた金龍鈴守で、こちらは今あるものが全てお分かちされ終わってしまったらもう手に入らない、非常に貴重なものとなっています。
歩き疲れたら、上島珈琲店で一休み
少し余談にはなりますが、日光東照宮まで観光にくると、中々徒歩でまわるエリアが広いので、途中で休憩もしたくなると思います。
そんな時は、宝物館に併設の上島珈琲店がオススメ。
ここで食べられるコーヒーソフトが美味しいので是非ご賞味頂きたいです!
歴史を学ぶ意味の一つ 私の見解
歴史の勉強なんて、将来なんの役にたつんだよー!と嘆いていた学生時代もありましたが。
知識・教養は人生を豊かにする、というのは、「良い大学を出て、良い就職先で、高いお給料を貰う」ということではなくて、「生きることを楽しむ事ができる」と言うことなんだろうなぁと、私は思いました。
私が通っていた高専は、何故か私達の世代だけ、「勉強にならないから」とかいう意味の分からない理由で、修学旅行が中止されてしまいました。だけど、学校で教科書だけで得られる知識だけでは、現地で現物をみて味わう感動と、そこから更に湧き出す好奇心を補う事はできないと思います。
結局その後数年して修学旅行は復活したようですから、必要性は再認識されたこととは思いますが。
同世代の「歴史を学ぶ知的好奇心」を阻害した当時の母校の対応を、実は今でも少し恨んでいたりします。
是非皆さんも、人生をもう一段階楽しむための知識と思って、身につけていきましょうね!
したっけ、またねー。
にほんブログ村
コメント